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    LRF, 射延博樹氏 インタヴュー

    • 2011.01.13 Thursday
    • 20:16
     
    LRF, 射延博樹氏インタヴュー
         

    LRFの久しぶりの東京公演を2月6日(日)に控え、ストリート・パンクの第一人者であり、LRFのソング・ライターでもあり、リアル・ディール・レコーズのオーナーでもある射延博樹氏に話を聞く。イギリスの伝説のストリート・パンク・バンドTHE WARRIORS aka LAST RESORTを招き、日本公演を成功させ、また伝説の9バンドをイギリスから招き入れ、日本でHOLIDAYS IN THE RISING SUNを自力で開催!リリースされてきた数々の作品は未だに色褪せる事が無いばかりか輝きが増している。そんな射延博樹氏がこの度、東京公演に向けてのインタヴューを快諾してくれたのだ。
    INTERVIEWED:景山潤一郎 
       

    【博樹さんが一番最初に音楽に興味を持った(夢中になった)のは何時ごろなのですか】
    いつの時代も男の子は不良に憧れるもんでして 小学校の時銀バエが出たけども所謂ロック括りのレコードとしては矢沢永吉の「Yes.My Love」が最初やったけども。そらぁ小学生の子供の血がたぎるレコードではなかったやん?
    不良はエーちゃんを聴くもんやと思てたけど実際中学校に入ってウチの年上等が聴いてたのはどうゆうわけかシャネルズとか甲斐バンドとかの方をよう聴いてて。「裏切りの街角」口ずさみもってシンナー吸うてたわ先輩等わ。

    【そういうことですか!博樹さんが矢沢永吉さんの「RUN & RUN」のシャツを着て映っている写真もありましたよね】
    Tシャツくんでやったね。

    【国内外問わず、音楽をはじめた当時、どんなバンド(音楽)に夢中になりましたか?】
    ホンマにのめり込んだんはキッスやな。一番サブい時期の。ベストヒットUSAで「エルダーの戦士」聴いて小学校の卒業式の日にそれが入ってるアルバム買うた。ほんでから「デトロイト・ロックシティ」「アライヴ供廖

    【パンクに興味をもったのは何時ごろでしたか?】
    おんなじ頃やわ。亜無亜危異。

    【一番最初にバンドでプレイしたのは何時ごろでしたか?そしてどのようなバンドでしたか?】
    中学の友達らと一応組んでは居たけども実際にスタジオに入ったのは15の時。

    【バンドのパートは何を担当されていたんですか?】
    中学の時のグループでドラムやるいうてた奴が結局飛びよったから俺がドラムせなあかんようになってん

    【LRFを結成した経緯を教えてください.】
    LRFの前にその友達らとバンドやってまあ20歳前後でひとつ目の「さてどうするべきか?」が来るやんか誰しも。
    ほんでその中学の友達4人の内でおれと国武が残って、その頃一緒によう活動してたHumpty Dumptyもおんなじ頃にやらんようになってて、Humptyでベース弾いてた大洞とほんで後にHawksの熊澤と4人で半年ぐらいか一年ぐらいかよう スタジオで練習してたけど、やっぱり微妙にやりたい音も各々がちゃうねんな錯綜してて。

    【なるほど。そういう流れだったんですか。で後にそれぞれがバンドを組んで活躍されていくわけですよね】
    活躍・・・。(苦笑)

    【当時、大阪を取り巻くパンク・シーンの状況はどのような感じだったのですか?】
    当時ていうのはLRF結成の頃?その頃はどんなんやったやろ。その前のバンドの時よう一緒に入れてもろてたCracker JacksもHumptyもBull The Dougsもやってへんだし。あれちゃうん二期目のコブラが大人気やった時ちゃうん?

    【二期目のコブラの印象はどうでしたか?】
    ああ、その頃うちの兄がレンタル屋で働いとったからそのコブラの「おれたち」てゆう曲とか、ザ・モッズの「ヘイ、トラビス」とかそんなんばっかり集めてカセットテープにおとしてみんなで集まって聴いた憶えがあるで。まあ。印象ゆうて・・・のお。

    【どのようなバンドと競演されていましたか?】
    LRFやりだした頃はグリフィン、バルザック、ホークスの全身フェニックス。順繰りでおんなじ面子ばっかりやったようなかんじがするウェ。

    【その頃の映像を見たことがあります。グリフィン、フェニックスそしてLRFのライブ映像。大洞さんがLRFのギターを担当されていましたよね】
    大洞。砂川。よく頑張りました。

    【日本で影響を受けたバンドはいますか?】
    ハンプティ、クラッカー、ブル、ウォーマシン、ライジングサン、バルチャーズま、知り合いばっかりやけども。
    ほんまやわ。Young、Gifted and Yellowやな...。

    【カッシングルは100本制作し1993年12月11日のファンダンゴ(TRUEFORCE GIG VOL.4)で配布された以外、店には置かれなかったのですか?】
    うん。

    【個人的にリアル・タイムで衝撃をうけた西日本スキンヘッズ・コンピレーションCD「BURST OUT」が1994年にリリースされるわけですが、この時期のシーンの状況はどうでしたか?】
    疎外感しかないで個人的に。シーン言うてしらんもんほんまに。多分グルーサムとかサイドバーンズとかが盛り上がってたんとちゃうん?
    今でもそうやけどホンマに行けへんねやんかライブハウスとかに。うるさいやろ?ほんでその頃ゆうたら今よりもっと行けへんかった頃やって確かハンプティを 富永くんが又やりだしたと。ほんでこないだのライブのV観るけ?言うてみしてくれた中にGruesomeも出てて「今ようがんばっとおるバンドやウェ」言 うて教えてもろた憶えがあるなぁ。

    【疎外感ですか・・・当時リアルタイムで聴いていた自分や自分の周りの友人も含め、LRFが牽引しているように見受けられましたが。圧倒的に。】
    いや。それはないですわ。

    【「BURST OUT」に収録された「NOT UNION,GODDAMN CLUB」ギターの粒の揃った刻み、4SKINSのJJバリの、あのドラムは博樹さんですよね?曲も素晴らしい出来ですが歌詞の「理由無き反抗」「団結で はなくクラブ活動」とは何を指しているのでしょうか?】
    若手は大風呂敷広げるだけ広げよるやろ、いつの時代も。

    【「BURST OUT」に収録されているもう一曲「WE OUTSTARE YOU」。ドラムのパターンにスレイドのドラム・パターンを持ち込んだ様に思いました。「YOU'RE GONNA GET YOUR FUCKIN' HEAD KICKED IN」のリズムで始まるこの曲は、初めて日本で演奏されたフットボール・パンクだと認識しています。反応は物凄かったんじゃないでしょうか?】
    ドン・パウエルの奏法やな。気付いてくれた人は少ないで。「初めて日本で演奏されたフットボール・パンク」ええ響きやなあ。チァーズ、メイト!。反応はほぼきいたことないで残念ながら

    【TRUEFORCE HOME STEREOからリリースされたTRUEFORCE OFFICIAL RULESに〔WE ALL STAND CLEAR〕が収録されています、「真実に傷つくのは愚か者のあかしだ」歌詞の最後の結びは鳥肌もんです。この曲の制作秘話や当時の印象に残った思い出を 教えていただきたい(シリーズ・ギグやレコーディングについても教えてください)】
    けどそれはカール・ゴッチさんの言葉を引用したわけやから。少なくともおれには格言ではあるけどもね。ほんまに逆に賢者でありたいし。そう成らねばならん し。なんでしょう作品としてはベーシックだけでもふたパターン、砂川ドラムテイクとおれドラムテイク録って。結局砂川テイクを使こたけど。8トラックの卓 でやってたから音の劣化が一番少ないとされたDATへ一回ある程度ミックスしてからダビングして、ほんでからまた8トラック中の2トラックへ戻して6ト ラックを空けるとゆうアホな作業をこの頃のレコーディングではやっとったねえ。

    【「フレンドシップ・モア・ザン・マネー」と並ぶ格言ですよね。博樹さんはドラムを何時から演奏されていたんですか?】
    十五 さい。

    【MCRからリリースされたTOTAL INSUBORDINATIONに収録されている〔BRAWNY−SHAPEDSHIT〕のインナー・スリーヴに歌詞が載っていなかったのは何故だったのでしょうか?リード・ギターのツツイゴロウ氏とはどんな方だったのですか?】
    なんかVAのアルバムに歌詞を掲載するのんてなんかちゃうような趣があるねんわ。どのバンドも載せてへんかったら載せたかったかもしれんし。なんかそんな 感じやったと思う。ツツイ君はあれや。246のバイトの兄ィちゃんや。エンジニアもやってくれて。ギターも貸してくれて。弾いてくれて。

    【当時、東京のシーンとの交流はありましたか?そして東京のシーンは博樹さんにはどう映っていましたか?】
    いやまったくなかったやろ。関東の方で繋がりがあったのはあいつら、UNITE BOYS?ONE TRAPて言う名前に変えたあいつらだけやな。浦和の。東京のシーンはそらぁ羨ましい、恨めしいだけやがな(笑)。

    【ヴァ ルチャー・ロックからリリースされた「SUPER YOBS VOL.2」に収録された「THE ELTON FOUNDATION」ギター・サウンド、楽曲、歌は凄まじい出来だと思います、勿論歌詞の切り口も圧倒的に日本人離れしている感じを受けました。どのよ うに作曲、作詞をおこなっているのですか?】
    いや出来は全然やて。もちろんソングライティングの段には凄まじい出来やで。ROSE TATTOOの「Remedy」パクっと朴っとんねやから。
    確かものすごい急かされて録音した記憶が...あんな仰山収録したレコードやなくて最初の奴さんのプランではLRFとRough Tradeとあと2、3バンドで作るから今月中に仕上げてくれライクな。そやしごっつ焦って録った憶えがあるなぁ。

    【そうだったんですか。博樹さんの著書にも書かれていましたがヴァルチャー・ロックのオーナーは一癖も二癖もある人なんですね】
    いや、あんまり知らんで。基本的に音楽好きのええ人なんと違うかな。

    【1996 年に発売された7インチ・レコード「6DAYS'EP RAGE E.P.」この盤に打ちのめされた人は結構いると思います、同時に勇気をもらった人も。「DEADEND FACTORY JOB」の最初の始業ベルの音と思っていたのが実は目覚まし時計の音と後に教えてもらった時はビックリしました。歌詞中の6−Sが作業現 場用語だったりと聴きどころ満載ですが、制作秘話などありましたら教えてください】
    いやゴメンあれ目覚ましの音とちゃうで。何用なんかしらんけどチリリリリンて鳴るちっちゃいベルをクンケが持って来てそれをそのままマイクで拾ろてもビリ リリリリにしか聞こえへんかったから上のベルの部分はずして小刻みに動いてるそのベルに当たる部分をむき出しにして、ほんでスタジオの入ってるビルの非常 ベルの赤い鉄外してそれに当てて出した音やねん(笑)。角度がごっつい難しいねん(笑)。

    【そんな作業をしてたんですか!!もう自分は最初、気だるい朝の半開きの目で半開きの口にコーヒー流し込んで、テコでも動かん時計の針を睨みつけながら工場の作業場に向かう景色が浮かんでました・・・】
    聴く人によって印象が違うねんなあ。そのベルのバックで2種類の工場のシーンの音を混ぜて出来あがりや。どっちもロバート・デ・ニーロの映画から拝借してまんねん。

    【「YOU'RE FIRED」の「俺はこれまでただの一度も正当な扱いを受けたことはないし、何処へ行っても疑いの目が付いてまわる」ヴァース1の歌いだしで完全に心掴ま れました。攻撃的で哀愁を帯びたヴォーカライゼーションに脱帽です。やはり曲に対する歌詞のはめ込み方が素晴しいと思います。英文法や発音はすべて独学で 学んだのですか?】
    でも今だに文法の最終チェックはビル・レッキーくんにお願いしてるで。まあたいそうに言うたら独学やな。独学て独ていう漢字がドイツを連想させて英語の話してるのにややこしなぁあ(笑)どうでもええけど。

    【後にフランスから再発された経緯を教えてください】
    フランスのレーベルがレコード、新作出しませんか言うてきたけどあっちらの感覚のレコーディング代のこと考えたら一曲も録れへんやんか安すぎて。じゃあこ うゆうのはどうだ言うてファースト7"仏版にした。我々の名誉の為にも言うておきたいけどあのジャケはないウェ。俺、表のデザインしたったのにあの写真は 裏面のメンバー写真として使こてくれいうて配置図も送ったのに。アレ見たときは正味ヒヤーっとしたわ。

    【あのフレンチE.P.にはそんな逸話があったんですね・・・リアル・ディール・レコーズから発売されたコンピレーション「IT'S A KICK TO BE ALIVE」監修、制作は博樹さんですが参加バンドの選出はどのように決めたのですか?】
    当時知ってるバンドだけやった。Burst Outの流れからやな。

    【どのような経緯で自分でレーベルを立ち上げたのですか?よろしかったら当時の心境等を教えてください】
    ああ、誰も声掛けてくれへんかったからやろうな。TRUEFORCE、自分らでやって、コンピレーションにはBurst Outみたいに声かけてくれるけども単独作いうたらそれはなかったからなあ。

    【海外からのオファーは沢山あったんじゃないですか?】
    あったけどレコーディング代にこれぐらいかかるで的な具体的なはなししたら急に連絡してけえへんようになるな大概。

    【宣言ともとれる「3 MORE YEARS」制作の心境を是非教えていただきたい】
    ノストラ何がしの大予言が1999年に地球が終わると。ほんで俺が1969年生まれやから丁度30歳やんか。何の丁度かわかれへんけど。まあええわ。ほん でそんなんを完全に信じてるわけやないけどもちょっとはあるやんか一番多感やった時期に吹きこけられとるわけやからそんな与太を。でもそんな良くないネタ はいろんな角度で揃てきてたし阪神大震災かもしれんし変な宗教かもしれんし。ほんでまあ何よりも自分の事で30まではまあええかライクな歌やわ。お父さん お母さん30までは目ぇつぶってくださいみたいな。ゴツい男になったるさかいに、みたいな。ウソやけど。

    【長いスパンで物をしっかり見極めて実現させていく博樹さんだからこその歌詞だと思いまし たし、年月が経ち色褪せていくものが殆どの中、輝きをましていく理由はそこにあると思いました。生き様を作品に刻み込める数少ない類まれな表現者だと。何 が博樹さんをそうさせたのですか?】
    タフなQやな。何やろ。まず極端なはなし、一生歌えることを歌おうと。好き嫌いとかの感情を詩にするんやのうて、もっと突っ込んで掘り下げて。達成したら 歌わんでもええものもあるけども。ほんで基本的には自分自身に対しての歌であるから。それは十代の時に詩を書き始めた時に決めたルールで。おれはこうゆう 事を歌にしたのだからこうゆう事はしたらアカンとか。自分の意志を示していこうと。常にそうゆう裏付けの事はよぎるでやっぱり歌作る時は。

    【一生歌える歌。同感です。自分の意志を示していくことは容易な事ではないですよね。確固たる信念が言葉にも音にも、勿論存在自体に滲み出ています。博樹さんが「こいつはやりおるわ」と思う歌を書く人は現在いらっしゃいますか?注目しているバンドとか。国内外問わず。】
    80s90sの日本のいわゆるパンクバンドでほとんどメチャメチャやん。演奏だけや。詩あらへん。ここ「ワンジャー」て言うとるやろ?今「フワンフェン」 て言うたな絶対。みたいなんばっかりやったやん。けど今のバンドはちゃんとしだしたと思うけどね。ええ傾向やな。


    【7インチ・シングル「YES, WE ARE THE FINALISTS」が1997年にリリースされます。音のアプローチが若干変わったような印象を受けました、特に「YES, WE ARE THE FINALISTS」はSMALL FACESを個人的に感じました、何かそのような制作の意図はあったのでしょうか?】
    ケニー・ジョーンズの奏法やな。その2、3年前にファイナリストはデモにしててんけど俺個人は悪いけどあんまり気に入ってなくてでもこの曲はやっぱり自分の中でもA面曲でずっとあったもんやからなんとかしたくて、そうや正味「Get Yourself Togever」のドラムを当てはめても一回録り直したからそれは当たってるわ。

    【博樹さんが60年代の音楽に興味を持ったキッカケは何だったのですか】
    Small Facesは昔バンドやってた親戚がライヴで「My Minds Eye」カヴァーしてたんで知った。WhoとかStonesはもっと前から知ってたけど、なんかそうゆうモッズとかスインギング60sを意識させたんはやっぱりSmall Facesやと思う。

    【60年代だとどのようなバンド、ミュージシャンが好きですか?】
    Stones、Small Faces、WhoほんでActionとかモッズの時代に出て来たバンドはやっぱりユニークで佳かったんではないでしょうか。

    【間 奏部分の「ミャーッ」という印象的な音がありますが、ずっと自分はピック・スクラッチの音だと思っていましたが博樹さんに「あれは本当に愛猫の声だ」と教 えてもらった時はビックリしました。歌詞も辛辣で挑戦的で気持ちが高揚します。曲名がどの曲もインパクトがあり力強いのですが意識はされているんです か?】
    ジャコちゃんの声やねん10さいの時の。背中チョンチョンチョンて叩いたらミャー言うねんわジャコ(笑)。
    そらもちろん使える言葉は常に捜してるわ。無意識にも。

    【「YES, WE ARE THE FINALISTS」は国内外問わずカヴァーされていますがどう思いますか?】
    大変光栄なことです。

    【「DAMN POSEUR」は強烈な歌詞です。酔ったときにしか言いたいことが言えないような「自称都会の反逆児」は当時周辺に沢山いたのですか?】
    今も!。

    【「ALIENATED」の歌詞は圧倒的な歌詞のクオリティーなのですが「YOU'RE FIRED」などに見られる影のある歌詞のように個人的に思います。この影がLRFを理解する上で必要な部分だとも思っています(個人的に)。この歌詞を書いた時の状況はどのようだったのですか?】
    心の闇の部分かいな。あのころとくになんか若者の自殺が取り沙汰されとってんけど「死んじゃダメだ」的なメッセージを発信してもしゃあないなと思てて。今 も思てるし。うそでそうゆう自殺する若者着ぐるみの中に一回入った体でその辺の心情を並べてみたろかと。この年になっていよいよ感じることはやっぱり俺の 人生はどっちか言うたら辛いことばっかりやと。ほんで文句ばっかり出るしホンマにおもろないことの方が多い。けどこの歌もそうやけどごちゃごちゃネガティ ヴなもん並べても結局は前向かんと。何もせんかったら、克つ為に尽力せんかったら負けるとゆうことがくそシンプルな物の道理やから。どないなってもやっぱ りボロカスに言われる死に方だけはアカンからなあ。

    【「う そでそうゆう自殺する若者着ぐるみの中に一回入った体でその辺の心情を並べてみる」・・・者(物)を見る角度の違い、着眼点が凄いですね。作品が前後しま すが「SHOOL KILLER」も確かに。日頃の鬱積した感情が作品にネガティヴじゃなく前向きに、強さとして反映されている様に思います。博樹さんが 音楽的にではなく精神的に影響を受けた人を教えていただきたい】
    誰か一人選んでみろと言われたらやっぱりカール・ゴッチさんやな。

    【衝撃的で決定的な1stCD「THE ROUGHS AND SMOOTHS」が1998年にリリースされます。国内外問わず、かなりのポジティヴ・フィードバックがあったのではないでしょうか?】
    期せずしてやな。けど作品作った時迷いはないけど、自信はないもんやねん。他の人に対しての。そうゆう他の人が聴いてどう思うかてゆうことは解らんやんか。

    【自 分の周りでは衝撃的すぎて落ち込んだ人が何人かいました。マスタリング工程が抜けているとは全然気がつかないどころか、音の凄さに圧倒されました、歌詞に も目が釘付けでしたし、レコーディング方法で何か特別なやり方をされているのですか?それとも楽器に何か秘密があるのですか?】
    自分の作品基本的には気に入ってるけど今でも聴くたびに反省ばっかりやで。だから自信作ていえるのは家で作った段階の時やな。レコーディングも色々マイク の吊り下げ方、シンバルで囲て反響させたり部屋の向こうの方にも一個マイク立てて歌拾ろてあとで混ぜたり原始的なことばかりやっとったわ。そんな事にばっ かり時間かけとったなあ。ええ時間や。おもろかった。

    【おもろそうですね!レコーディング方法によってあのそれぞれの音の馴染みや奥行きが出ているんですね。ダブリング(声を2個重ねる方法)も日本のパンクバンドでは博樹さんが初めて取り入れたんじゃないですか(ハモりとか、部分的に重ねる手法じゃなく)?】
    あぁそれはちゃうわ。JM Volume.1のレコードでCrackerJacksとかBad Vulturesもその手法取ってるわ。一本やったら自分の声がどうにもしっくり来ぇへんかったからJMのレコードに倣ろたのよね。

    【「THE SHIP GOES DOWN BOW FIRST」や「THE LOST DECADE」の歌詞は胸に突き刺さります、時代背景や歌詞を書いていた時の心境などを教えていただきたい】
    SHIPの方は古いで。前のバンドの時に書いたから。LRFで書き変えたけど主題は一緒やな。初めて船とかそうゆう別のモノに喩えたりした歌やねん。 LOST DECADEの方はあんまり関係ないかもしれんけど今思いだしたはなしで、昔上岡龍太郎が言うてた言葉で「人は16から26までに何をした、がんばったか でその後が決まる」て言うてて。この詩を書いてた時にそんなことを考えてたことはないけども。世間的にみたら、おれの16から26は定職にも就かんと「失 くした十年」でしかないやろうけども、おれはこんな詩を曲に載せて作れるようになったのだぞ。しかも英語で。ほんでまた、この歌についてはなしを聴きたい て言うてくれる人が今だに居るてゆうことがおれの誇りやで。

    【博 樹さんが俺達の誇りなんですよ。不毛の荒野を雨の日も風の日も耕し、今そんな歌や存在に励まされたり、時にはバッサリ斬られたり、強さをもらった人達は仰 山存在するんです。そしてそれぞれが胴着を着てそれぞれの戦いに挑んでる。それが音楽でなくとも、料理であったり、会社であったり、深夜の長距離トラック であったり。不毛の荒野に見事な花が咲いとるんですよ。】
    そうなんかな。冥利に尽きるわ。

    【隅から隅まで拘りと愛情を感じる作品だと思いました。全曲が究極。制作にあたっての苦労や面白い話がありましたら教えてください。】
    八曲やで!!(笑?)。今から思えば、クンケと二人で金払わなあかんかったから安うあげるために8トラックの卓しかないとこでずっと録ってたけどさっき話 したようにトラック一旦整理して空けるてゆう作業を最初の7インチ二枚もこれもやっとったけど逆に効率は悪かったと思うで。けどエンジニアいうても円広志 に時給500円でコキ使われてるバイトの子らやったから一緒に色々試せたし勉強できたし。まあかけがえのない日々やな。今のこの生活のおもろなさであの頃 の事想たら涙出るよ。


    【はい(笑)。八曲ですが究極です。エンジニア、スタジオと良い環境だったんですね。レコーディングシステムの環境より、エンジニアを含め共に試行錯誤しながら作品を作れる環境はスリリングでエキサイトして本当に面白そうです。】
    そやねん。昔グリフィンと か前のバンドのレコーディングの時とかはかなり本格的なスタジオやったから、「今チューニング狂ってますよ」とか「テンポ走ってないですか」とかコンソー ルルームから聞こえてきてみ、あんな言われ方したらヒヤーとするわ。ガチガチや。自分専用のコーヒーマッシーン備えてやがってや(笑)。

    【コンピレーションCD「TRUE AS STEEL!!」に提供した2曲は何故「YET MORE THE ROUGHS AND THE SMOOTHS」に入らなかったのですか?スタジオ246産じゃないからでしょうか?】
    いや2曲共246やで。ただ改装してちょっとだけ機材も良うしよってん16TRの卓に。ほんで246は練習スタジオで、そっちのブースをスタジオRかなんかて呼んどったで。何の差別化を図っとんのかしらんけど。その二曲がYET MORE〜に入らへんかったんはその二曲の事を完全に忘れてましてん。正味。因みにリアルディールで出したRUSTの1st7インチはここで録った。

    【忘れてたんですね。なんか意図があるのかと思ってました。その頃(改装時)にスタジ246を離れたんですか?】
    結局その頃につっつんともう一人エンジニアやってくれてた児玉くんも246辞めたからやろね。値段も上がったし。

    【レコーディング・スタジオを変えて録音した二枚目のCD「OUR THING」それまで使い慣れたスタジオ246を離れ、新たなレコーディング・スタジオを使ったことによる利点や弊害はありましたか?】
    いやそれはやっぱりチャンネル数が無限にあるなと。弊害は特になかったよエンジニアの人もいつも歩みよってくれてたし。なんかもうちょっとこうなりまへん か?て雰囲気を伝えても、そうゆう用語を駆使して説き伏せられたら創れへんでしょ音楽なんて。アガッてまうやん。

    【「AIN'T DONE YET」から始まり「THE COMING OF CHANGE」へ繋がり、一気に聴いてしまえる、またもや全曲究極なCDですが、作曲方法や作詞作業は今までとおなじだったのでしょうか?】
    逆にそれまでの作品と何か違う感じあるかな?作曲方法はギターでしかできひんからなあ。

    【シンプルだがイージーでない作曲の究極の形だと思いました。てっきり鍵盤で2、3コードぐらいで回して歌をのせて骨組みを作っていく感じなのかなと思っていました。ギターでの作曲ということですがコード進行が先ですか?歌メロディーが先ですか?】
    ここんとこは先に歌詞ありきでできるやつが多いわ。歌詞と言うかタイトルに持ってこれそうなフレーズを反復してたらメロディというかリズム、リディム?(笑)が憑いてきよるわ。昔作ったUNION GIVES STRENGTHとかは完全にメロが先やった。FINALISTも然り。メロディアスなメロを如何に少ないコード数に詰め込むかやな。

    【サウンドの質感が前作とは完全に違う印象でした。音抜けは良いし、かといってデジタルっぽくない。歌詞はもうあれですよ、英俗語やユーモアのセンスも含めて英語で歌詞を書く人であれば意識せずにはおられん程、同業者には脅威だと思います。】
    ムチャをしたで。歌入れは8時間ぶっ通し2日連続やもの。一度へばった所から始まるのがプロレスのトレーニングだ、て山本小鉄やないけど、おれも一回声枯 らしたぐらいで丁度ええかんじにはなるね。完全に声トばしとるじゃないのちゅうかんじの歌も2,3あるけども。ほんでおれらてアレやで普通バンドて少なく ともライヴないしスタジオで一回は完全版として演奏するやろ?けどおれらておれのウチでおれがドラムでくんけがベースだけのリハしかせえへんから、ギター はもとより歌なんかレコーディング本番まで本息で歌とたことないもんOUR THINGのアルバムは。だから歌もギター・サウンドもおれの頭の中のイメージだけで本番に臨むねん。


    【「AIN'T DONE YET」の歌詞。あの字数であの壮大感は本当に尊敬します。あの曲にどれだけ勇気をもらったことか。この時期、歌詞を書く面で何か変化はありましたか?】
    ありがとうございます。自分でも「AIN'T DONE YET」はもうちょっと「言われても」良かったのにと思う。ただ友人、関係各位以外からの声はほんまに聞こえて来ぇへんかったのが事実やし。書き方で変化 はないと思うけどなあ。ちゃんとした自分の思いをちゃんとしたrhymingでしたためる。これがボクの書き方やな。唯一の。英語が出来ひんから英語の詩 が書けない?言うとくけど俺、英会話なんか出来ませんから。ほんだら我ら日本人、全員日本語が話せるからと言うて松本人志ぐらいおもろいこと言えまっか? ちゅーこっちゃで。英語であろうと日本語であろうと結局センスですよ。言葉選びの。

    【言 葉選びのセンス。確かにそうですね。書き方の面でますますシンプルになってしかも力強くなった印象を受けました。「AIN'T DONE YET」は確かにもっと言われるべきです。あのコードの少なさであそこまで壮大に表現できるのは驚異的ですよ。歌詞については、ああいう歌詞が本当の強さ だと思いました。ワザと男らしく暴力的で威嚇するような言葉を並べた歌には無い、到底真似できない力強さを感じました。】
    そう汲んでくれる人が居てうれしいで。下世話な言い方したら潤ちゃんみたいなハードマンがそう言うてくれることでこの歌も浮ばれるとゆうもんや。日本人て ゆうのは元々そうあったはずやで礼節を知ってて。謙虚で思いやりがあって。他のどんな国の人より。言わな損するで的な浅ましい姿勢が蔓延しててボクはほん まに憂いでるよ。余分な見栄を切らんでも殺し合いになっても逃げんかったらそれでええでしょうが。

    【「THE COMING OF CHANGE」個人的にはディープ・パープルよりもハンブル・パイ(またスティーヴ・マリオットですいません)を感じました。「移り変わる友達の姿見るた びに、自分はひとりなのやなあとゆう事実と向き合うことを学んだ」この一節に何か、もっと深い何かがあると思いました。自分自身、友達や先輩、良くも悪く も自分の青春(もっと他の言葉でしょうか?)の中で信じたものは未だに信じたままで、傷つく事も沢山あるんですが忘れられない思い出(出来事)でし て・・・何て言えばいいのか解らなくなってしまいましたが歌詞で涙が出たのは久しぶりでした。それほど俺には刺さったんです】
    ディープ・パープルもハンブル・パイもワシ知らんで!!(笑)。
    チーが若くして死んで、クロが死んで、親父が六十にもならんで死んで。ジャコは21歳で死んで。ジュニもまだ若いのに死んで、クロチビが後を追うように死 んで。ほんでボンは看取ってやれずに死んで。そうゆうことを想うとマジで胸がしめつけられて苦しくなる。マジで息もしにくなる時ある。嫁さんや母親、兄貴 とかとそんな事悲しい事とかを喋って共有することはできるけど、どないしても埋まらんものはあるで。紐でお互いを結んで心中したとしても死ぬ時はひとり だ!。そこは埋まれへん。

    【こんな事言うと、失礼かもしれませんが博樹さんの強さや優しさの意味が少しだけ解ったような気がします。長距離走者の孤独と言うか、表現し続ける人は常に孤独だという言葉がありますが博樹さんはその孤独すら飲み込み、独り真実の証言台に立ち続けている様に思います。】
    でももちろん支えてもらってるのも事実やからな。色んな人に。ただ如何に生きるかってゆう事を考えたらそうゆう意識で、覚悟を持っとかんと。うーん、自分 が生きて行くてゆうのはそうゆう死とか別れとか失ったものの大きさとどう折り合って行くかってゆうことなんかもしれんなあ...わからんけどな。

    【「FIRM AS A ROCK」CDは予約して限定ジャケット入手しました。兄である射延篤史(exGRIFFIN)との幻のユニット、ザ・ガヴナーズはどのような経緯だったのですか?】
    グリフィンのファンの人がCS放送の製作に居って番組のOPテーマを依頼されて。最初はグリフィンの曲でって頼まれたらしいけどなんでやったかおれが書い た。GAORAでやってたラグビーの情報番組で流れてたわ。唯一の救いはその番組のMCがパンクラッシュ・パンクラスの矢野武さんやった事ぐらいやな。

    【「FIRM AS A ROCK」「SEEN IT ALL BEFORE」は今までと曲のアプローチが違うように感じました。この録音時期に何か好みの変化などがあったのでしょうか?】
    それはもうAC/DCですやろ。元々好きなバンドではあったけどSTIFF UPPER LIPの大阪城公演で出待ちしてたらなんと思いもよらず気さくにアンガスが待ってたファンひとりひとりにサインしてくれて写真も一緒に撮ってくれてホンマ に嬉しかったで。おれよりちっちゃかったし。完全に大好きになったわ。

    【すごくいい話ですね!さすがアンガス・ヤングですね!】
    アンガスはヤングだぜぇ。

    【「I'VE SEEN IT ALL BEFORE」の歌詞は博樹さんだからこそ書ける歌詞だとも思いました。】
    シンプルですやろ。シンプルやけど、イージーやないでしょ。

    【もう究極ですよ。背中すらみえませんて!THE WARRIORS aka LAST RESORTを日本に呼んだ経緯を教えていただきたい】
    発端はアーサー・ケイの本「Watching The Rich Kids」を読んでボクがファンレターを送ったとこからやわ。返事と「Craig And Bentley」の7"が同封されてて"ぜひ日本でプレイしたい"て結んであってなんかしらんけどおれが実現しようと思たわけやね。

    【凄いことですよね。一人でTHE WARRIORS aka LAST RESORTを呼んだんですよ!自分は来日公演に行くことは出来ませんでしたが嫁が撮っていた写真を見て色々想像したり、後にリアルディール・レコーズから発売された「THE ULTIMATE STREET MUSIC CONVENTION」を聴き倒して、行った気になってました。】
    Oh、マミ吉っちゃんな。そういえばWARRIORS来日が載ってるおんなじ号のDOLLマグに初めてLRF載ってんけどその写真撮ってくれたんがソッチの細君やったなあ。

    【THE WARRIORS aka LAST RESORT来日期間での何か面白い話はありましたか?】
    アーサーは仏教徒で、京都のお寺に連れて行ってあげた時が一番喜んではったな。一時は創価学会にも入信してたことがある言うて、なんやしらんけどちっちゃ い声で言うてたわ。サクスビーはちょっと人見知りで自分からこっちにべらべら喋りかけるタイプの人ではなかったけどウエストハムの事とか映画の事とか訊ね たら適格に答えてくれたな。めっちゃちっちゃいエピソードやけど印象に残ってるのが、移動の車中おれが当時出たばっかりのコック・スパアラーの「Two Monkeys」の「Buttersie Bardot」かけてたら彼ら全員イギリスから来てるのに皮肉な事に未だそのアルバムを聴いたことなくて、サク スビーが「これスパアラーか?」てきくから、おれは「そうや」いうてほんで「ええ曲やな」いうから「そやろ」言うてほんでおれが「このバターシー・バー ドットて何のこと?」て訊いたら、普通に、「50年代60年代に人気あったイギリスの女優キャロル・ホワイトの事でブリジット・バルドーのバターシー版 や」言うて初めて聴く歌やのに歌詞聴きながら教えてくれたわ。えらいもんで。

    【HOLIDAYS IN THE RISING SUNを自力で日本で開催した事で、今だから言えることや裏話等、なにかあったら教えていただきたい】
    いやちょっとありすぎるからなあ。よろしかったら「REALDEAL and all that」(出版元スタジオ・ワープ)でどうぞ!

    読ましていただきました。未読の方は絶対読むことをお勧めします】
    そうそう読んでくれはったらよろしいのに。

    【2月のLRF東京公演は久しぶりの東京公演になりますが、今の東京は博樹さんにとってどのような印象でしょうか?】
    ライヴ以外でよく遊びに行くようになった。ギグもやりたい東京で。大阪でライヴするのはもうええかなって思てる。正直それに賭ける張り合いがない。時間もない。元々ライヴてゆうもんには比重かけてないし作品制作にくらべて。けど次の東京は楽しみ。

    【LRFが今のメンバーになった経緯を教えてください】
    今のメンバーて、全員手伝いやん。でも演奏的には今までで最高。Sweet。

    【再始動の大阪公演はどうでしたか?】
    Sweet。メチャメチャ猛暑やったけど。久々に歌うのがR3Cの出水さんの興行でよかった。ベースやってくれてるたにさん(Clampdown)も十代 の頃からバンドやってるらしいけど「演奏してて楽しい思たん初めてですわ!」て言うてたし、ドラムのフジ富士太(DREX)もそら年間80本からギグやっ とるから本番強い。ほんでウチの兄ちゃんもおれが思うにTHE RIOTの頃からギターだけはイカツイ!エグいで。

    【東京、都内近郊にも沢山LRFを待っている人がおります。LRFの東京公演を心待ちにしている人達に一言お願いいたします】
    MAYBE ONE LAST AWAYDAY LRF.....THIS COULD BE YER LAST CHANCE!!!

    【ありがとうございました】
    プレジャア。


    2011年2月6日(日曜日)

    新大久保EARTHDOM

    【GROOVY NITE VOL.07】

    L.R.F
    R.3.C
    THE PRISONER
    HAT TRICKERS
    YOUNG PARISIAN
    ROUGH STUFF
    NANOX

    ADV/2000YEN
    DOOR/2500YEN

    OPEN16:30
    START17:00

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